千草は2014年、生誕100年を迎えようとしています。
今日は千草100年の歴史について、簡単にご紹介したいと思います。
今から約100年前の1914年(大正3年)
松山から移り住んできた千草の創始者 小嶋勝太郎は、八幡の地にて料亭を立ち上げました。
小嶋 勝太郎(現 千草ホテル社長 小嶋一碩の祖父にあたります)
時代を遡ること十数年前、1901年官営八幡製鐵所の炉に火が灯り
八幡のまちは空前の好景気に湧いていた時代です。
八幡製鐵所やその関連企業の賓客をもてなす場として、
また地元の方々の様々なハレの宴の場として、料亭千草は変化し続ける八幡のまちとともに成長して参りました。
時は流れ1943年、小嶋勝太郎の次男である小嶋守は、料亭近くの中央町にて
「千草ホテル」の営業を開始しました。
ところが太平洋戦争末期、1945年8月8日の八幡大空襲の際、料亭とホテルは焼夷弾による大火災により
全館消失という憂き目にあってしまいました。
しかしながら1946年、両千草は焼野原から雑草のように立ち上がり
料亭は八幡東区茶屋町で、ホテルは同西本町で営業を再開。
まさに「千草」という屋号に込められた、「踏まれても踏まれても立ち上がる雑草(=千草)の如く、強く生き抜きたい」
との想いを体現した出来事でした。
(料亭千草 現茶屋町にて営業再開) (千草ホテル 現西本町にて営業再開)
時代は進み1993年、料亭千草が惜しまれつつも閉店。
同時に千草ホテルは当時の料亭の料理長、西村宏を和食料理長へと迎え、料亭の味と伝統を受け継ぎました。
西村宏(現 割烹にしむら亭主)は、千草100年の歴史をつなぐ料理人としてその後も研鑽を続け、
2006年「北九州技の達人」に認定されております。
(西村宏)
現在、千草はホテルのみならず、マリコレ、鞘ヶ谷ガーデン、海と太陽の教会などの婚礼施設や
北九州市立美術館内のレストラン カフェ・ミュゼなど、複数の店舗を北九州市内にて運営しております。
形は変われど、その根底には千草が培ってきた料亭の味、そしておもてなしの心が脈々と継承されているのです。
以上、簡単ですが、千草100年の歴史をご紹介させていただきました。
これから千草は2014年の生誕100年に向け、また、その先の100年を生き抜く強さを身につけるべく
様々な取り組みを行なってまいります。皆様のご来館を心からお待ちしております。