皆様、こんにちは ホテルブログ担当のAです
突然ですが、こちらの写真は、千草ホテルでの昭和44年頃(47年前)の披露宴の様子です!
当時の会場名は【若竹】という会場でした。一番奥に『竹』とかいた書が見えますね
テーブルの上には、3段の豪華なウエディングケーキやローストチキン、巻き寿司なども並んでいます。
アサヒビールのラベルもとてもクラシックです。アサヒビールパッケージセレクション
1914年に八幡の地に誕生し、今年102年になる千草ホテルにはこのような、当時の様子がわかる写真がいくつか残っています。今回のブログではこの写真をみながら、前編と後編に分けて、当時の結婚式に思いを馳せたいと思います。
昭和44年(1969年)ってどんな時代??
昭和44年頃(今から47年前)は、昭和40年11月~45年7月までの大型景気【いざなぎ景気】の真っ只中で、乗用車やカラーテレビなどのブームが景気を盛り上げました。また、人類初の【月面着陸】や、それにちなんだ【明治アポロチョコ】の発売。テレビアニメ【サザエさん】、コント番組【8時だヨ!全員集合】のスタート、映画【男はつらいよ】の公開なども昭和44年の出来事だったようです。
当時の結婚式って??
自宅で執り行う結婚式が一般的だった時代も終わり、ホテルや料理屋さんでの披露宴がメインになったのがこの時代。
そのあと専門式場がこのころから増え始めたようです。
千草ホテルの当時の結婚式の様子を知るスタッフに写真をみながら話を聞かせてもらいましたのでご紹介させていただきますね。
「当時の結婚式は和室のイメージなのですが、洋室もあったのですか?」
昭和30年代までは千草ホテルでも和室での結婚式が主流でしたが、40年代頃は洋室での結婚式も増えてきました。それに伴い、新婦様のお衣装は色打掛、振袖、そして少なかったですが、ドレス姿の新婦様もいらっしゃいましたよ。また、今はほとんどの新婦様がされる『お色直し』も主流になりつつありました。
「当時の披露宴はどんなことをしていたのでしょうか?」
この当時は仲人さんが新郎様側にお一組、新婦様側にお一組、計4人いらっしゃいました。披露宴の最初に仲人の方が挨拶をされ、新郎新婦様の紹介をされます。その後、両家の親戚の代表の方が挨拶をされ、来賓の祝辞、乾杯という流れでした。当時、結婚は家同士のつながりの意味が非常に大きかったですね。
披露宴は司会者さんなどはいらっしゃらなかったので、新郎新婦様のご親戚、お友達、それ以外では私たちホテルスタッフがさせていただくことも多かったんです。
その他の大きな流れとしては現代の結婚式と変わらないところも多いですが、余興などはあまりなかったですかね。披露宴中はお二人のお好きなレコードなどをかけていましたよ。
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いかがでしたでしょうか、少し長くなってしまったので、前編はこの辺にさせていただきたいと思います!
昭和44年前後の出来事を調べていると44年だけでもすごいのに、43年も色々あっていました
この時代というのは毎年毎年色々な分野において新しいこと、の連続だったようですね
当時を知る方はどの様に日々を感じていたのでしょうね〜
後編ではウエディングケーキや料理などについて書きますので、それでは次回もお楽しみに
※今回の記事に関して、この結婚式の写真は44年前後(40年〜46年)の写真と言われています。地域やスタイルにより年代・流行などは多少違う場合がございますのでご了承ください。